珍しさに駆られて、アリスはウサギの後を追って駈けだし、原っぱをつっきると、ちょうど
ウサギが生け垣の下の大きな巣穴へピョンと飛び込んだのが目に入った。アリスもすぐさま
続いて飛び込んだ。出る時にはどうするかなんててんで頭に無かった。
——『不思議の国のアリス』 ルイス・キャロル冒頭より
膨大な量の情報と「もの」とに囲まれた世界では、その天文学的な数の物量を前に僕らの
想像力は完全に萎縮している。距離や時間を超越していくテクノロジーは、世界を拡張し続けて
いくかのように感じられるが、僕らは変わらずこの身体を離れることはできない。この
ギャップこそが多くの歪みを生み出しているのではないか。だとするなら、もう一度この
身体から想像力を最大限に発揮して僕らが生きている世界を捉えなおす必要があるのではないか。
そう想像するとき、頭にひとりの少女の物語が浮かんでくる。生身の少女がノンセンス
(非常識)の世界に迷い込み冒険をはじめるあの物語。
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』。世界中の人々に愛され続けているこの物語は、
なぜこうまで人の心を打ったのだろう? 魅力的な世界観やキャラクターもさることながら、
しかし何より自分と変わらない普通の暮らしをする少女が日常を抜け出し、めいいっぱい頭や
身体を使いながら不思議の国を冒険することにこの物語の最大の魅力があったのではなかったか。
アリスを通して遠いはずの「不思議の国」が日常と地続きであることを僕らは追体験するのだ。
rabbit holeという名前は、まさにこの『不思議の国のアリス』から引用している。不思議の
国と現実世界の境界としての穴。考えてみると、そもそも穴には空間を隔てるものは何一つない。
外から眺めると真っ暗な丸い円が、内から眺めると光輝く真白の円が口を開いているだけ
なのだから。そう「穴」という「空間」はないのだ。しかし、ないはずの空間は、「ない」が
ゆえに僕らに無限の想像力を与える。
rabbit holeは、「いま、ここにあるもの」を通して日常からほんの少し離れたところに意識を
連れていく。用途やカタチだけでなく、身体や感覚を通して想像力が沸き立ってくるような
プロダクト。ひとつひとつの「もの」が、物語に通じていく穴のような存在であり、
同時にあくまでも僕らの日常を支える道具として存在する。そんな想像力の種としての
プロダクトを提案していきたい。